
スターガーディアン:
ツインスター
最も暗き夜に


サラは公園を目指し、限界以上のスピードで飛んでいた。これでもうあの子のお守はしなくていい。スターガーディアンのサブリーダーの身に戻ることができた。最後の高層ビル群のあいだを飛んでいると、ヴァロランシティ・パークまで続く芝生が見えた。そこに、“願いの木”の根元に、ふたつの人影があった。
「ずいぶん遅かったじゃない」ザヤが甘い声で言った。
サラが急降下すると、ザヤの放った羽は狙いを外れ、サラの上空を飛んでいった。
ほかのみんなはどこ?サラは降下を中断し、空中で静止すると、通過してきたビル群を振り返った。またも恐怖が泡立つのを感じた。ラックス。エズリアル。私の仲間──もとい、チームはどこに行ったのか。もしかしたらザヤに──
ザヤが跳躍し、肉弾でサラめがけて真っ向から突っ込んできた。よけられない!サラは衝撃に備えた…が、何も起こらなかった。その代わり、ビルとビルの合間から一陣の突風が吹き、空中にいたザヤにぶつかった。ザヤは吹き飛ばされ、ラカンに激突した。次の瞬間、芝生の上にジャンナとソラカが駆けてきた。
「うまくいきましたね」ソラカがうれしそうにジャンナに言った。ふたりの肩の上にポッピーとルルが乗っていた。サラは自分が笑うべきなのか、安堵の涙をこぼすべきなのかわからなかった。みんな無事だった!サラが地面に降り立つと、ソラカの波打った緑色の髪のうしろで、ルルが怒りをあらわにした。
「人のお尻を追いかけ回すのは失礼にあたりますよ。みなさん、そう教わっていないんですの?」
「そっちこそどうなんだ?黙って俺たちに殺されないのは失礼にあたると教わらなかったのか?」ラカンが言い返し、ザヤは身を転がしてラカンから離れた。
「黙ってなっての!」ジンクスの声がした。彼女は全力で駆けつけようとしているラックスとエズリアルを押しのけ、前方に出た。そして、片膝をつき、いつになく慎重な手つきでロケットの照準を定めた。
ドーン!ジンクスの満足げな快哉のあと、ラカンの苦痛の声が聞こえた。ロケットが翼に命中したのだ。
「あんたに撃たれるのはもううんざり!」ザヤが悪態をつき、ジンクスに向かって羽を飛ばした。
「俺たちのほうこそ、おまえらの相手をするのはうんざりだぜ!」エズリアルが言い返すと、ガントレットのなかからユートが飛び出て、ザヤの羽を弾いた。
「やるじゃん、ボルトボーイ」ジンクスが珍しくエズリアルに満面の笑みを見せた。
「エズ!ジンクス!」サラはエズリアルとジンクスのもとに駆け寄った。ふたりを抱きしめたいという強烈な欲求と戦いながら。「私を援護して、道をひらいてくれる?」
エズリアルはうなずき、ラカンの鼻先にテレポートした。アローかオーブを撃つつもりだろうと思ったが、サラにとってはうれしい誤算で、エズリアルはタックルでラカンを地面に押し倒しただけだった。ザヤがラカンのもとに馳せた。
「クロ、シロ、どう思う?アタシたちも加勢したほうがいいかな?」ジンクスが自分の使い魔たちに言った。クロは返事の代わりに威嚇するような声で鳴いた。シロはいつもどおり、クロとは正反対に、恐ろしげな笑みを浮かべただけだった。主人であるジンクスそっくりの笑みを。次の瞬間、ジンクスたちは全力で駆けだし、クロとシロはザヤめがけて情け容赦なく弾丸を浴びせていた。
ラックスは流れ弾に当たらないように大きく距離を取りつつ、サラに追いついた。「さっきの紫色の爆発…あれってシンドラとマルチ?」
サラはうなずき、地面の上で揉み合っているエズリアルとラカンを見やると、「あいつらを足止めしておいてくれない?」と訊いた。
「サラはいったい、私たちが何をしてると思ってるんだ?」ポッピーが言い、ジャンナの肩の上から飛び出した。そして、ハンマーをかまえると、エズリアルの加勢に向かった。
「ここは任せておいて」ラックスが言うのと同時に、またも紫色の炎が尾を引き、公園の上空を焦がした。「行って!」ラックスはほかのガーディアンたちのもとに走った。
サラにはその言葉だけで充分だった。シンドラがまだ生きている!シンドラは凄腕のガーディアンだが、ある種の敵と戦うには、力だけでは足りない。
今行くわ、シンドラ。待っていて。
サラは次々に降ってくるパドルスターには眼もくれず、木と木のあいだを縫って駆けた。パドルスターの落下痕は不気味な真円を描き、公園の中心部だけが被害を受けずに残されていた。
その円の部分を通過しようとしていると、濃紫色の髪をした背の高い女性を見つけた。
「シンドラ!」サラは叫んだが、安堵したのはほんのつかの間のことだった。
シンドラの眼のまえのブランコに、小さな女の子が座っていた。だが、ただの子供ではない。渦を巻いた紫の髪に混じる青。そこかしこにちりばめられた、きらきらと輝く星。女の子はサラを見ると、にっこりとほほえんだ。
荒涼とした星に響く笑い声。仲間たちの絶叫。彼女のまわりでばたばたと斃れていく。舌を焦がす混沌と魔力の片鱗。冷たい、底知れない瞳。その笑みは何も約束していない。その笑みはすべてを約束している。
ゾーイ。
「サラ、なぜここに来たの」シンドラは“宵の明星”を、すなわちゾーイを見据えたまま訊いた。サラはシンドラの隣に向かったが、その一歩一歩に気力が求められた。ゾーイの額に輝くジェムに、恐怖におののく自分の顔が映っているのが見えた。それでも、気力を振り絞って公園内を見渡した。カイ=サの影はなかった。このささやかな慈悲に対し、サラは光に感謝した。
「あなたの加勢に来たのよ」サラは言った。シンドラとゾーイがここで戦っていたのは間違いなかった。が、シンドラは傷ひとつ負っていないらしい。いったいどれだけ腕が立つの?
「あなたは自分の心配だけしていて」シンドラが言うと、別の声が公園じゅうに響いた。ザヤが追いかけてきたのだ。
「言われなくたって、その女は自分の心配しかしないわよ!」ザヤが吐き捨てるように言い、ゾーイは喜びに眼を細くした。
「ザヤ!サラ!ふたりとも、会いたかった」ゾーイが言った。
「私も同じ気持ち。なんて、口が裂けても言えないわね」サラは応じた。
「でも、このまえは一緒にあんなに楽しく遊んだじゃない」ゾーイがすねた。「ねえ、ザヤ?」
「死ぬのが楽しかったとは言えないわね」
「あたしは楽しかった!サラもそうなんじゃない?あなたを置き去りにしたくて、うずうずしてたはずだよ」
サラは拳を握りしめた。「あなたの魂胆はわかってるわ、ゾーイ」
「あたしは真実を言ってるだけ」ゾーイは歌うように言った。「だって、そうじゃなきゃ、どうして逃げたりしたの?」
「ラカンが死んだからよ。ニーコも!」
「ザヤは?」ゾーイは無邪気に訊いた。サラは何も言わなかった。
「答えて!」
突然のゾーイの金切り声に、サラは反応ができなかった。ゾーイはふたりのあいだに漆黒の穴を展開した。虚空から放たれたパドルスターが弧を描いてサラの背中に命中し、ショルダーブレードに挟まれた肌の露出部を焼いた。サラは膝から崩れ、苦痛のあまり体を折り曲げた。冷たい地面に額をつけ、熱と苦痛を鎮めようとしたが、体を上から足で押さえつけられた。ザヤの足だ。
「知らなかったのよ」サラは歯を食いしばって答えた。
ゾーイがけらけらと笑い、シンドラが闇魔術のオーブを三つ放った。
「ほらね、ザヤ。サラにはもう新しいお友達がいるんだって」ゾーイはからかうように言い、あくびをすると、漆黒のポータルをひらき、シンドラの攻撃を吸収した。「シンドラのほうがあなたより強いからかもね、ザヤ」
サラの肩を押さえていた力が消えた。顔をあげると、シンドラに向かっていくザヤの姿が見えた。ザヤが羽を放つ。シンドラはその軌道から跳びのき、安全な距離からマルチを召喚する。コンパニオンが現われ、小さな月のようにシンドラのまわりを周回する。マルチは口を大きくあけ、ザヤの羽をひと呑みにした。
「ひゅー!大したもんだ。このラカンさまにも引けを取らねえ!」ようやくザヤに追いついたラカンが口笛を鳴らし、サラに向き直った。「まあ、感心しないこともある。おまえのお友達はみんな目障りだ。金魚のフンみたいに俺のあとについてきやがって──」
「シンドラ!サラ!」最初にやってきたのはラックスだった。が、ほかのみんなの声も後方のそう遠くない場所から聞こえてきた。
「な?言ったとおりだろ」ラカンは言った。ラカンが射出した羽がラックスの魔法とぶつかり合う音がした。
だが、サラはそれを実際に眼にしたわけではなかった。ザヤが彼女のもとに戻ってきて、起きあがろうとあがくサラの上に膝をついたからだ。ゾーイは湧きあがる喜びを抑えきれないようだった。暗黒のオーラが彼女の周囲で脈を打ちはじめていた。このまえと同じだ。
「見たの。あんたが逃げていくところを」ザヤが静かに言った。
彼女はサラのあごをつかむと、無理やり顔をあげさせ、見ることを強要した。ザヤのことを。ゾーイのことを。ゾーイの体から立ちのぼる魔力が具現化し、何かをつかもうとするかのような、腱だけの手が現われた。そして切り裂いた。ザヤの翼を。頭を。心臓を。だが、ザヤは気づいていなかった。
「見たの。アーリがあんたを連れて逃げるところを。あたしは大声であんたたちを呼んだ。まだ生きていたから。なのに、あたしは置き去りにされた」
腱だけの手はザヤの首を握った。まるで絞め殺そうとするかのように。そして、手がふたたび動くと、サラの背中の傷が喜びにもだえた。混沌。穢れ。ゾーイ。
「ちがう…」サラはあえいだ。肩甲骨のあいだに闇と痛みが宿り、第二の心臓のように脈打っていた。その脈動のたびに苦悩がもたらされた。
サラは誰かに名前を呼ばれたような気がした。が、ゾーイがその声を黙らせた。
「邪魔しないで、いいところなんだから!」ゾーイが言うと、無数のパドルスターが奔流となり、サラとザヤを包む障壁となった。
「どんな気分か知ってる?…死ぬってのが」ザヤはそう言うと、サラのあごにかけている手にぐっと力を込めた。
「いやよ、やめて、やめて──」サラは涙を流したが、痛みのせいではなく、記憶のせいだった。サラの皮膚の下で暗い炎が触手となり、罪の意識を、恐怖を覆い、サラをサラたらしめているすべてを破壊しようとしていた。
「死ぬってなんでもないことなの」ザヤの声は静かだったが、どういうわけか、降り注ぐパドルスターの音よりも大きく聞こえた。「ラカンの死にざまを見せつけられたことに比べればね」
グリーンの瞳は涙にあふれている。彼は息をしていない。彼女はぴくりとも動かない。
触手がぬめぬめと動き、サラの悲しみを貪った。サラは悲鳴をあげそうになった。
赤紫色の羽が黒い溜まりに落ちる。
「知らなかった、私は知らなかったの──」サラが繰り返すその言葉が、背中の痛みと不協和な音を奏で、頭のなかで声が叫んでいた。何もかもおまえのせいだ。何もかもおまえのせいだ。
誰かがサラの体をつかみ、引っぱっている。懇願している。誰かが叫んでいる──待って。誰かがほんとうに叫んでいる!記憶のなかで叫んでいるのとは別の誰かが。
「あきらめないで」頭のなかの大合唱とは正反対の声が響いた。
「誰?」ゾーイが訝しむと、落ちてくる星が一瞬だけやんだ。
ラカンはサラに向かって駆けていたが、その途中で足をとめた。ラカンの眼は頭上に向けられていた。彼らの上空に新しいパドルスターの大群が見えた。が、星たちは降り注いでいなかった。静止し、空中で震えていた。今にも切れそうな細い糸でつなぎとめられているかのように。ラカンがサラからザヤに視線を移した。彼の心のなかで、サラには理解できない戦いが繰り広げられているようだった。その戦いに決着がついたのか、ラカンはザヤのほうを向き、彼女の体を引くと、ゾーイからは見えないところへ、頭上で静止した星々から離れたところへ運んだ。
「あきらめないで!」また声がした。が、サラは今まさにあきらめようとしていた。私のせいだ。心のなかの闇が、もう自由になれとささやいていた。でも、あの声は…
力を振り絞り、サラは顔を動かした。ひとりの若い女の子が見えた。体は土と乾いた血にまみれていたが、瞳に燃える炎は少しも霞んでいなかった。サラにはわかった。自分の名前を自分で知っているように、はっきりと。あれはカイ=サだ。
「黙ってて!」ゾーイが叫び、ブランコから跳びおりた。ラカンがザヤをさらに後方に引いていくのが見えた。「ごちゃごちゃ言ってないで、あたしの話を聞くの!」
カイ=サは聞いていなかった。ただサラだけを見つめていた。「仲間がついているから。だから絶対にあきらめないで!」サラの心臓が大きく波打ち、背中の触手がたじろぐのを感じた。
「無視しないでってば!」ゾーイが怒りを爆発させた。
サラはカイ=サの声に込められた決然たる意志に心を打たれていた。アカリにそっくりだ。あの愚かな希望に。でも、ほんとうに愚かといえる?今のサラには、とても強固な希望に感じられた。あのふたりの壊せない絆。そんなものが存在するとしたら、それは──
仲間がついているから。
仲間たちはいた。確かにそこにいた。サラのために駆けつけていた。触手がのたうちまわった。
「黙れ、黙れ、黙れ!」ゾーイが叫び、地団駄を踏むと、大地が揺れた。地面は裂け、その亀裂からピンクと紫の粘液があふれた。ゾーイは思いつきさえすれば、カイ=サを簡単に吹き飛ばせるはずだった。だが、カイ=サが切った唯一の手札のせいで、癇癪を起こしていた。
「あなたはひとりじゃない!」カイ=サの双眸は双子の星のように輝いていた。
サラはザヤとラカンのいるほうを振り返った。ふたりは必死に亀裂と粘液を避けようとしていた。今のところ、彼らは脅威ではないが、それも長くは続かないだろう。サラはラックスを見た。ほかのみんなを見た。全員の視線がゾーイに釘づけになっていた。いっせいに攻撃を仕掛ける準備はできていた。が、ガーディアンたちはためらっていた。それもそのはずだ。ゾーイは自らの怒りに我を忘れ、周囲がまったく見えていない。カイ=サのことも見えていないようだ。今こちらから攻撃を仕掛ければ、ゾーイは反撃に打って出るだろう。サラたちがカイ=サのもとに急いだとしても間に合わない。ラックスにもサラにもそうわかっていた。だから待った。危険な綱渡りだった。シンドラは少し離れた場所に立っていた。が、その唇には小さな笑みが浮かんでいた。
サラはカイ=サのいるほうを振り返った。「ね?」カイ=サは言った。「あなたはひとりじゃない。聞こえる?あなたはひとりじゃないの」
カイ=サのその言葉に応えるかのように、ふたつのまばゆい星がはるか上空から公園を照らした。パドルスターではなかった。それらは空中で静止しているゾーイの星たちを追い抜き、地面に衝突した。サラが膝をつき、ゾーイが怒りをまきちらしているまさにその場所に。
「ほら」煙のくすぶるクレーターから声がした。その場にいた誰もが聞き覚えのある声が。「ちゃんと聞こえたでしょ」
「アーリ!」ラックスの声は安堵に満ちていた。サラも同じ気持ちだった。
「その子の言うとおりだよ、サラ!」また別の、聞き覚えのある声。ありえない。でも、そんなのどうでもいい。ニーコがサラに向かってほほえみ、手を差し出していた。
「あなたはひとりじゃない」ニーコは言った。
そして、ゾーイは完全に我を忘れた。















